おはようございまーす♪
凄く天気がいいです!!
人も車も全然通ってない!!
さてさて・・・
近場の観光地、松平家の墓所へ行ってみましょ~
墓所なのに観光地っていう表現はどうなんだろ?・・・(汗
国史跡っというのですね
熊さんが出るのでしょうか・・・
看板の横の箱からレンタル用のクマよけ鈴を貸してもらいました。
そもそも松平家って何?・・・って話なのですけど・・・
この時わたしはなぜか暴れん坊将軍だと思って見学していました。はい。。。
ネットで検索すると、会津松平家とは~~~・・・・ わたしが書くよりも、Wikipedia見てください。
墓所ですけれども手前から
亀趺(きふ)に乗っかった碑石 表石 鎮石 の順で並んでいるようです。
碑石にはその人の業績
表石には官職名、名前
鎮石には霊神号(れいしんごう)
が刻まれてるそうです。
で鎮石の下に葬られているそうです。
これが亀趺(きふ)に乗っかった碑石
すっごい大きいです。
神社とかに行くと灯篭があると思うんです。
アレって寄贈(寄付)?で~大きさが~ みたいな話をしたことってありませんか?
その一番大きい灯篭くらい大きいです。もっと大きいかも?
ちょっと大きさを伝える写真を撮りたかったんですけど・・・
そこに置いてある箒を立てかけるとバチがあたりそうですし・・・
一文字がこの大きさです。
でこっちが表石と鎮石
人のお墓っていろいろあると思うんです。
自分の家のお墓からそれこそピラミッドまで。
ここで見たお墓はお墓と認識できるレベルで一番大きかったです。
ピラミッドさんはお墓なのでしょうけど・・・ちょっとお墓感というか巨大建造物というか(汗
後は雰囲気でしょうか
静かな木々に囲まれてその静寂さに息を飲みました。
奥の方まで行くと現在の松平さんのお墓もあります。
お墓の管理大変そうだなぁ~(入口からここまですっごく歩く。階段も沢山ある。)
っとか余計なことを考えつつ次の観光スポットへ
飯盛山です。
ココはブラタモリの会津で予習しただけあってかなり楽しめる!!
観光するにあたって知識というのは必要なんだなぁっとしみじみ。
結構あるいて疲れたので・・・
休憩しつつ店員さんと周辺の観光スポットについて話をしていると
神指城(こうざしじょう)の話に。
上杉景勝が鶴ヶ城が狭いから建てようとしたお城。
ところが徳川家康が会津に攻めて来るっていうから工事は中止、未完の幻のお城となってしまったとのことです。
もし完成していれば鶴ヶ城の2倍の大きさ、関東最大級の平城だったみたいです。
で、徳川家康はどうしたかというと・・・関ケ原の戦いが起こって引き返しちゃったみたいです。会津まで来なかった(汗
店員さん面白い話をどうもありがとうございます♪
ちょっと寄ってみよう!!
えぇーっと・・・
言い表せば、近所のあまり整備されてない野球が出来る広場でしょうか(汗
ただ見渡すとこのあたりは一体は水田が広がっています。
軍事拠点としてではなく政治経済の中心として建てようとしていたみたいです。
もし完成していたらこのあたり一帯は城下町となり、大きな都市に発展して行っていたのかもしれないと思ったりすると儚いものです。
ちなみに帰宅後のネットサーフィンにて
徳川家康の会津征伐は陽動作戦だったみたいなことが書かれててちょっとショックを受けた(汗
関ケ原の戦いの石田三成は徳川家康が会津征伐に行ってて手薄だと思って攻めたのに、徳川家康があり得ない速さで帰ってきてやられてしまった、みたいな。
会津はいろいろ歴史がある街だなぁ~っと感じました。
観光に行くと歴史を勉強するべきだと思う。
それだけでちょっと観光スポットが楽しくなります♪
好きな人は新選組の方々にも所縁のある場所がたくさんあるみたいです。
帰りに寄った大内宿にて
次来ることがあれば新選組関係を回ってもいいかも~
あと猪苗代湖全然行ってないや(汗